こんにちは!zumizumです!
今日は最近メディアに引っ張りだこの、古市憲寿さん(ふるいちのりとし)が書いた「絶望の国の幸福な若者たち」(2011年発行)のレビューを書いていこうと思います。
古市憲寿さんとは・・・
1985年東京都生まれ。社会学者。
慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。
若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、世界の戦争博物館を巡り戦争と記憶の関係について考察した『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)などで注目される。内閣府国家戦略室「フロンティア分科会」部会委員、「経済財政動向等についての集中点検会合」委員、内閣官房行政改革推進本部事務局「国・行政のあり方に関する懇談会」メンバー、「クールジャパン推進会議」委員などを歴任。
日本社会にひそむ様々なズレについて考察した『だから日本はズレている』(新潮新書)は10万部を突破。
【公式サイト】 https://www.furuichi-noritoshi.com/から一部抜粋
実はこの本を読むのは2度目で、今でも覚えていますが当時大学3年生の就活準備で真っ只中。色んな本を読んでるうちにタイトルに惹かれて、つい買ってしまった本がこの本です。また、当時「朝まで生テレビ!」という番組で「若者」をテーマに取り上げられていた際に、著者の古市さんが出演していて、若いのに歯に衣着せぬ言葉連発していたことを覚えています。
今「若者」と呼ばれる世代から少し、成長した現在の自分の立場と当時思っていた現役世代の「若者」である自分のことを振り返る中で、色々と感じたことをつらつらと書いていければと思います。
ちょこっと先に言っておくとこの本を読むと、2011年当時(今もあまり変わらないと思うが)の「若者」の考え方や「若者」って何者?という、若者という存在について、多少の理解を深めることができます。
※この本の一部ネタバレも含まれています。
この本は第一章~第六章で構成されています。
【構成】
★第一章★「若者」の誕生と終焉
はじめに第一章では「若者」とは何か?を過去の出来事と自体に分けて紹介しています。
下の画像は年代別に分けた、「若者」の定義について簡単に表にしたものです。
年代ごとに変遷を見てみると
【1930年代】
時代は戦争真っ只中。日中戦争などもあり、当時は「若者」ではなく「青年」という呼称でした。この当時は「青年」は「都合のいい協力者」と見られていて、戦争に駆り出される、人々の一員でした。
【1950年代】
戦争終了20年。「青年」から「ティーン・エイジャー」と呼称も変わり、当時は若者は消費を担うお客様として見られていたようです。
【1960~70年代】
時代は高度経済成長真っ只中。ここから「若者」という言葉が生まれました。団塊の世代が生まれた時代です。「一億総中流」として、格差をなくし皆の生活水準も一定にしていこうという動きが出た時代でもあります。
【1980年~1990年代】
80年代は「個人向けコンピュータやビデオデッキ」などの、テクノロジーが発達した時代です。90年代になると、さらにケータイ電話の普及により、「ケータイ小説」や社会問題にもなった「ネットカフェ難民」などが取り上げられました。若者が消費を拡大することは落ち着き、若者市場も停滞と成熟になっていったようです。
【2000年以降】
我々がいる時代に突入しました。この時代になると「格差社会問題」「下流社会」という、世代間によるギャップが発生してきました。物を買わない?中流社会野崩壊?などが話題にあがっています。
★第二章★ムラムラする若者たち
第二章では世の中で語られる若者の姿が本当に正しいのか?を見ていきます。
若者は「内向的なのか?」色々な角度から検証していきます。
若者たち「意識」について
若者は本当に「内向き志向」なのかについて、本書ではいくつかの問いに対して答えています。
①社会志向?個人志向?
これは意識調査によると、社会志向:個人志向の割合は6:4(2011年調査)、1980年代と比べても社会志向は3割程度なので約2倍に増えていると言います。また、「社会の役に立ちたいと思っているか」については若者の60%は思っているというデータもあります。実際にボランティア活動でバングラディシュ小学校を開設したり、その話は映画化にもなったほどです。ただし、思いはあるのですが、実際に行動に移す(ボランティア活動など)人数自体は昔とあまり変わらない状態です。(やや外向き志向)
②政治離れは本当か?
関心はあるが、投票には実際にはいっていない(内向き志向)
③海外離れは本当か?
留学の数も増えてる、海外で働く人も増えている(外向き志向)
④地元化しているって本当か?
長期的にみると、地元にいたいという若者は多い。(内向き志向)
⑤物を買わなくなったって本当?
確かに、自動車、家電、海外旅行などの消費は減少。今はは買うものとそのスケールが変わっただけの話。若者自体の数も減っているため全体的には減少傾向(やや内向き志向)
全体的には「内向き志向」と言えるが、一概にも「内向き志向」とは言えない・・・というのが、結論です。
幸せな日本の若者たち
この第二章のミソとなる部分ですが、今の日本の若者は「幸せ」であるということです。若者を取り巻く環境は相当厳しいものが多い(格差社会や世代格差問題などの社会問題)この現状で何と若者に「今の生活に満足してるか?」と聞いてみると、なんと70%が生活満足度が高いと回答しているのです。少し聞き方を変えて、将来に不安はあるか?と聞いてみると、今度は大多数の若者が「不安」と答えています。
本書ではこの若者の状況を見て「人は将来に希望をなくした時、幸せになることができる」と表現しています。なるほど、将来に希望がないと分かっていいると、今の現状に満足するしかないのは至極当然のことだなあ・・・と同じ若者(だった)として感じます。
さらに、本書では今を生きる若者が幸せと感じる時は、おいしいものを食べた時、高級車を買った時など物欲が満たされた時ではなく、「仲間」とともに集まり、キャンプへ行ったり、遊んだりする時であると言っています。 そして、仲間とともに集まることを(村々)と群れを作ることと表現しています。最後にはその村々も当たり前の日常になり村々はやがて「ムラムラ」と感情を抱くようになり、結果その出口を非日常に求めるようになるというのです。
★第三章~第四章★崩壊する「日本」?と「日本」のためにたちあがる若者たち
第三章~四章では「日本」のことと「若者」の姿を様々な事例で紹介しています。また、日本という国を意識するナショナリズムという言葉にもピックアップしています。
期間限定で出現する国家(渋谷のサッカーワールドカップの盛り上がり)
2010年6月24日、サッカーワールドカップで日本代表がデンマーク代表と対戦しました。「渋谷に仲間と集まりサッカーを観戦しよう」という若者が数多く集まり、異様な盛り上がりで皆「ニッポン!!ニッポン!!」と叫び、応援しています。中には、サッカーのルールも分からず、とりあえず面白そうだからと言って応援する人もたくさんいました。
なぜ、こんなにも「ニッポン」と叫び、皆で応戦するのか?ここぞとばかりに、改めて日本という国を意識する(まるで自分もプレイヤーのように応援しする)瞬間はどうやって生まれるのでしょうか?
その正体は「ナショナリズム(国民独立、国民性を主張)という魔法がかかった」と本書では表現しています。
ナショナリズムはいつから生まれたのか?
それは、明治時代まで遡ります。それ以前の時代は「身分制度」というものがあり、人は生まれながらにして農民や武士など身分が決められていました。その後、明治維新が始まり様々な制度が制定されます。「今の日本をもっと強く他国にも負けない国にしよう!」皆が平等な身分に変えるために「四民平等」制度を作ったり、日本語の形成、義務教育など、日本という国を国民に浸透させる仕組みを作りました。
その後は、日本は経済大国と呼ばれるまでに成長を遂げることになるのです。
日本語を話し、日本の歴史を学び、日本を愛する気持ちもあるし、日本の役に立ちたいと思う、そんな若者は、ワールドカップというイベントなどを通じて仲間と群れ、非日常を体感し、日本という国を改めて実感するのです。
日本のために立ち上がる行動する若者たち
日本のために行動する若者はどれほどいるのでしょうか?
最近はデモなどに参加する若者も増えてきていると言います。そして、興味深いのはそのデモ活動やイベントは今ではお祭りごととして捉えられている部分があるということです。そして、SNSやインターネットを通じて参加を呼びかけているものも多いです。
若者の興味を「公共」や「社会」や「政治」に向かせるには?
彼らと「社会」をつなぐ回路が必要であり、それはイベントやフェスなどという新しい形で形成されます。そんな活動を通じて、自らの居場所探しや閉塞間を埋める表現活動を行っているのです。
★第五章★東日本大震災と「想定内」の若者たち
第五章は世界が変わったと言われる東日本大震災ですが、若者たちの反応はいかがかという内容です。
甚大な被害を与えた東日本大震災は募金活動や支援活動を通じて、何か行動をしないと!と感じた若者に行動を与えたとてもセンセーショナルな出来事だったと言えます。そして、それが新しい社会を築き上げる重大なきっかけになることは確かと本書では続きます。さらに重要なのはそのあとに新体制を築く時だと本書では述べています。
若者意識の中で「社会貢献に興味を持つ」きっかけになったことは間違いないです。
★第六章★絶望の国の幸福な若者たち
最終章の第六章では「日本の若者は幸せである」という事実を改めて確認します。これは持続可能性があるのか?労働環境や世代格差の観点から見ていきます。
絶望的な要素が数多くあるのに若者は幸せ?
世代間格差問題、祖父世代と孫世代では約1億円の受益損があります。(絶望的だ・・・)それにもかかわらず若者は幸せを感じているという。実は若者にはリアリティがないということが言えます。例えば、わかりやすい貧困者が見つかりにくいのです。餓死者も他国と比べてほとんどおらず、安くないスマートフォンを芸能人から工事のおっちゃんから若者まで普通に持っている今の現状もあります。
現状に満足をし、将来は不安だけれど今を仲間と一緒に過ごすことに満足している。さらに繋がりという点では、SNSで気軽に繋がることもできるし、承認欲求も満たされているのです。
そんな若者はこれからどこへ向かうのでしょうか?
あの頃には戻れないし、戻りたくもない(高度経済成長期)目の前に山積みの課題はたくさんあるし、未来に希望もないけどそんなに不満もない。そんな時代に若者は生きているのです。
まとめ
いかがでしたか?この本では、ざっくりですが「若者」という概念を知ることができます。客観的に若者をとらえてるので、「そうか~こんな風に見られていたんだなあ」と改めて自分のことを振り返ることができる本だと感じました。何かこの本で若者という得体の知れない者の正体を垣間見ることができれば、学びの一つになるかなと思います。
本書:絶望の国の幸福な若者たち
著者:古市憲寿
発行:2011年
発行所:講談社
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